この原稿を書いている2017年1月、阪神大震災から22年を迎えた。伝統ある古都の文化に惹かれ、生まれ故郷の東京を離れて、京都、大阪を拠点に取材に飛びまわっていた私には、琵琶湖畔から眺めるいくつもの福井の鉄塔がひとつの風景として暮らしのなかに溶け込んでいた。
そんな私がエネルギーに関心を持ち、学ばなければと考えるようになったのは、当時、文化セミナーのプロデュースをしていた私と木元教子氏との再会だった。
「理系に弱い私にエネルギーとか原子力のことがわかるかしら?」
ETTへのお誘いに私は不安をつのらせながらもお仲間に入れていただいた。
そして震災の折には、災害の恐ろしさを身近に体験することとなる。
2011年3月の東日本大震災、昨年4月には熊本地震と、災害大国日本の現状を振り返る。そして、いまこの瞬間にも和歌山県有田市の石油会社の工場で火災が発生しているニュースに身近な友人知人のことを気にかけている。いっぽう九州電力では玄海原子力発電所3、4号機が新規制基準に基づく安全審査に合格して再稼働がはじまろうとしている。これで、合格したのは全国で10基となった。福島を追われて来阪した家族との出会いや、その後の取材で福島を訪ねた時の過酷な情景と合わせて思いは複雑だ。
自然災害を含め、この世に起こるあらゆる事故をだれが想定することができようか。
私自身、国会議事堂からの帰途、青信号を確かめて霞ヶ関への横断歩道を歩いていて、飛び出してきた高齢女性の運転する乗用車にはねられ、全身打撲、左脚を骨折して、手術に伴い長い入院生活を余儀なくされてしまったのだ。
治療にあたってはMRIと合わせて、どれほどレントゲン撮影を体験したことか。そこで気がついたことがある。病院にもよるのだろうが、かつて人間ドックで使われてきた各科の検査器具と医療器械がずいぶん変わっていたのである。
日進月歩、原発や廃炉の技術革新も明日に向かって進歩していくに違いない。
(2017年1月末)