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非日常の中の日常――福島第一原子力発電所を視察して

松田 英三氏 eizo matsuda
パルス経済研究会代表

あの大事故の後も、日本に原子力発電は必要と思い続けてきた。減価償却が進んだ原子力発電のコストは、3.11を受けた新たな事故対策費を見込んでも、他の電源より低い。安全が確認された原子力発電所から再稼働をしていかないと、日本は天然ガスなど燃料の価格交渉でも下手に立たされ、超割高な電気料金を適用せざるを得なくなる。何故ならそれは企業の海外移転を加速し、国民のとりわけ若者の雇用を貧しいものにする、と考えるからだ。

先日、ETTメンバーとともに福島第一原子力発電所を視察する機会を得た。視覚が脳に働きかける作用は強力だから、実際に現場を見たら持論が変わるのではないか、といった想像もしていた。しかし、現場は穏やかだった。ダンプが行き交い、方々でクレーンが動いていたが、慌ただしさはなかった。全面マスクを外している作業員も少なからずいて、日常的な作業が粛々と行われている工事現場という印象を持った。もちろん、福島第一原子力発電所は非日常的な空間だ。所内にはバスの中でも毎時170マイクロ・シーベルトを記録したホット・スポットがあった。本来、コップ一杯が流出しても大騒ぎになる汚染水が毎日数百トンの単位で外部環境に接している。だが、それらの問題は周知され、それを前提に作業が組み立てられている。これなら大丈夫。持論が変わることはなかった。

事故直後、現場はすべてが非日常の世界にあったはずだ。あれから3年と8か月、日常を取り戻す作業が毎日、少しずつ積み上げられ、現在に至った。「東京タワーと同量の鉄を使った」という4号機の補修、散乱した瓦礫の撤去、立木の伐採など、脚光を浴びたものから地味なものまで、多くの努力のたまものだ。廃炉までには30年以上かかるという。長期戦になるだけに、少数の英雄的行為より多数の地道な営為が大切になる。日常が非日常を覆い尽くすまで、ルーティーンに倦むことなく、作業を続けてほしい。

(2014 年10 月末)

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