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エネルギー基地、六ヶ所村の今と原子力

木元 教子氏 noriko kimoto
評論家/
ジャーナリスト

秋の終わりを精一杯彩っている、青森県下北半島。この半島の付け根のあたりに位置する六ヶ所村に、心はずむ思いで伺った。この六ヶ所村に、私は1960 年代の終わり頃、それこそ何にも無い頃に、堺屋太一さんと伺ったことがある。広大な原野に、小さな樅の木が何本も目に入った。「あ、この樅の木を増やして、クリスマス・ランドにしたらどうでしょうね」、「でも、誰に話を持ちかけるか。いないなー」で、話は終わった。

それまで六ヶ所村は、甜菜の大規模栽培を試みたが、土地や気候は甜菜に合わなかった。その後、むつ小川原開発時代の工業団地、巨大コンビナートの造成をプランしたものの応募してくる企業もない。でもなんとか、開発の波に乗ろうと必死になっていた六ヶ所村。

1979 年、むつ小川原地区に「国家石油備蓄基地」の立地が決定し、1980 年、国のエネルギー政策のもと、現在の「日本原燃株式会社」である「日本原燃サービス会社」が発足した。核燃料に関わる事業は、日本原燃だけで6つあり、六ヶ所村は、日本の重要なエネルギー基地となった。

操業開始1992 年の「ウラン濃縮工場」は今年、新型遠心機の運転を開始した。続いて「低レベル放射性廃棄物埋設センター」が操業。現在200 リットル、ドラム缶約24.7 万本が埋設されている。「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センタ-」は1995 年の操業で現在、ガラス固化体1,414 本貯蔵。1999 年操業の「使用済燃料受入貯蔵施設」は、現在の在庫量、約2,919 トン・U。活動が期待される「再処理工場」は、2013 年10 月竣工予定で総合工事進捗率は約99%。期待の「MOX 燃料工場」の竣工予定は2016 年3月だ。

いま野田内閣は「2030 年代の原子力ゼロ」の社会を目指すとし、「原発の40年運転制限制を厳格に適用」との考えを示した。10 月中旬の米国取材で、日本の原発ゼロを懸念する声を聞いた。資源小国の日本は、エネルギー安全保障の観点から原発を簡単に排除できない筈だ。

私は思う。高値のジャパンプライスになった化石燃料への依存を高めることなく、信頼回復に務め、より安全対策を強化し、原子力発電の再稼働をすべきだと。

(2012 年10 月末)

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